イリューシャ・クリムキンの背中には、羽根が見える。
それも、天使みたいな、ふわふわした羽毛のつばさではない。蜻蛉(とんぼ)か蝉(せみ)の、うすい、すきとおった、むこうが透けて見える、風にふるえる、そんな羽根。
イリューシャ・クリムキンは、羽根もつ妖精なのである。
それも、日本人のイメージにあるような、善良でかわいいエルフ、ニンフ、フェアリーではない。性悪で、いたずら好きな、土の香りのする小妖精・・ピクシー、ドワーフ、トロル、コボルト、レプラコーン、ツヴェルク。アイルランドあたりの片田舎へ行くと、月夜に森の草むらで輪になってダンスしてそうな“小さな人”。
イリューシャ・クリムキンは、魔法が使えるそうだ。
ないしょだけど、ほらほら『ペトルーシュカ』のピエロに見とれてると、ほんの4分30秒だったはずが、あれ? 気づいたら100年たってた! なんてことが、たまーにあるそうだよ。ご用心、ご用心!
(※ちなみに、イリューシャは、イリヤの愛称です)
・・ただリンクに出てきただけで、そういうイメージがある。あんな人、ほかにいない。
正体不明、不安、こわい・・なのに、可愛い。技術はともかく、こんな面妖な魅力、だれにも真似できまい。
好きになれる人と、なれない人とはっきり分かれる、観客を選ぶタイプかもしれない。でもひとめ見たら、好き嫌いはさておき、必ず、忘れられなくなる。
とくに、かれ独特の、ブリッジみたいな体勢のイーグル・・私は勝手に“のけぞりイーグル”って呼んでますが(笑)。
あのイーグルに入ると、やや小柄で、細身で、コリッとした体型のイリューシャが、きゅうに力強く男っぽく見えてくるのに、おどろかされる。
ロシア人としては、体のわりにやや頭の大きい、幼児体型っぽくない? それがまた妖精に見える一因と思うんだけど・・。
右回り〜左回りと、連続で回れるキャメル・スピンと、その直後ひょいとトリプル・サルコウ跳んじゃうっていう独自の技も持ってるんだけど、このすごさは、シロウトにはちょっと判りにくい。そういう意味で、クロウト好みの選手ともいえる。
いつも、いまいちジャンプの確実性がないのが惜しい。でも、だからこそ「ああイリューシャがいっしょうけんめい跳んでる、がんばれ!」って、我にかえって見られるのが、ありがたい。うっかり完璧ノーミス演技なぞ見てしまったら、そこは意識が吸いこまれて二度と戻ってこられない、神がかり的な世界かも? あな恐ろしや・・。
ヤグディンも、自分の作品世界を創り出して魅きこんでしまう人だけど、ヤグディンって観客といっしょに入りこんでしまう人でしょう? ソルトレイク『仮面』のフィニッシュ直後、口もとを手でおさえてたときなんか、まだ天井あたりで宙をただよってる魂が降りてくるのを待ってるような眼をしてた。
イリューシャは、観客だけ別世界に連れてってしまうくせに、自分はいつも醒(さ)めた眼をしてる。そこが、こわい。
はじめてイリューシャ・クリムキンの名をおぼえたのは、01代々木GPFのFP『ペトルーシュカ』だった。
ヤグディンがSP『サーカス』で演じた、じゃれる仔猫みたいな可愛いピエロと、似てるしぐさもあるけど、持ち味はまるでちがう。陽気さとキュートさと、うらはらな独特の不気味さまである、みょうに現実感のあるピエロ。疲れを知らぬひたすら軽快な動きは、ぜんまい仕掛の自動人形のよう。
あの演技のときのイリューシャは、ひょいと手をのばせば本当に手のひらに乗せられそうなほど、小さく見えた。手のひらの上でピンピン跳ねる、かすかな感触まで感じられそうで、見てるうちにくすぐったくなってしまった。
03NHK杯は絶好調だったようで、FP『サニー・ボーイ』は鳥のさえずりが混ざる曲のせいか、得意の逆回転スピンしてるすがたに、ふと、ななめ上から薄陽がさして見えた。
こういうのもみんな“クリムキンの魔法”なのかなあ(笑)。
そんなイリューシャのふしぎな演技の中でも、03GPFでのFP『ドクター・ディーゼル』は、きわだって異色だった。
なにより“汚れ風情”の衣装が、独特。壁に両掌をぴたぴた、ってパントマイムふうの振りがあるせいか、ヤグディンの『ブロークン・アロウ』みたい、と思った。
これは、冒険した企画だった。あまり調子よくなかったのが惜しいが、この路線でイイ線いったら、ヤグディンのブロークン・アロウより、ティムチェンコくんのジーザスより、田村岳斗のヴァンパイアより、自分のものにできる可能性がありそう。『ペトルーシュカ』の可愛さが、ただの可愛さだけで終らなかったように・・。
なんとなく、錆びた蒸気機関車か蒸気船の、煤煙を嗅いだような余韻(不快だったわけではないよ・・念のため)。野花のようにみずみずしい『サニー・ボーイ』と両極端、ほんと多彩だよなあ、この人。
イリューシャにしか、ぜったい表現できない世界って、ありそうだ。ぜひ、挑戦しつづけてほしい。新機軸、革命、前衛、悪くいけば異端児呼ばわりされても、固定ファンがしっかり支持し、ついていくだろう。もちろん、わたしも。判りやすさより、一般ウケより、ジャッジ泣かせの、いまの路線を極めるべき。そうでなくちゃ、イリューシャじゃない!
それにしても・・おなじロシアの選手でも、ヤグディンと、プルシェンコの演技は、お日さまが出てる時刻、つまり“昼”のイメージの演技と思う。屈折した、内省的なテーマを選んでさえ、そう思わせる。
サーシャ・アブトは“白昼”ではないな。きらびやかな星の見えはじめる、すみれ色の空に淡い三日月のかかる、風すずしい“夕暮”だな。あるいは“白夜”か。
で、イリューシャは・・“夜”のイメージなんですね。都会ではなく田園、それもあまり満天の星や、満月がこうこうと照らすような夜ではない。逢魔が時。ひんやりした夜気の動く、なにかがひそむ真暗闇の世界。そして、夜明け。しらじら明けの“薄明”。
牡鶏がときをつくる声から始まる『ペトルーシュカ』。ハープやバラライカのような弦楽器の音のさざ波に、鳥のさえずりの溶けこむ『サニー・ボーイ』・・どれも“朝”のイメージのはずなのになあ。
さあさあ、妖魔や、もののけや、魑魅魍魎(ちみ・もうりょう)のための時間は終ったよ。
さあ、小夜啼鳥(ナイチンゲール)の背中に飛び乗って、森の奥のねぐらへ帰ろう、あしたの晩まで。
なんだか、そんなふうに聞こえてしまって・・これもやっぱり“イリューシャの魔法”?
こんな感じ、こんなイメージ、ようし、つかまえた! と思ったのに、どうやらイリューシャにつかまってしまったのは、私のほうらしい(笑)。つるかめ、つるかめ。つたない感想書きは、このへんにしておきましょう f(^ー^;