キス−キス TOPへソルトレイクの翌年、ヤグディン棄権にはじまったシーズンの終り、世界選は予想どおり、プルシェンコの圧勝に終った。しかし、その演技は・・ヤグディン・ファンからこの時期のプルシェンコへ、送られることのなかった手紙。
拝啓、ジェーニャ殿
〜エフゲニー・プルシェンコ〜

こんにちは。お元気ですか。
ようやく、フィギュアスケーターには、ほっとできる、オフ・シーズンの到来ですね。
去年のいまごろの憂さもすっかり晴れたろう今シーズン、解放のひとときを過ごしておられることと存じます。向かうところ敵なし。ほんとに、そんなシーズンでしたね。

いつかあなたは、インタビュアーに「先輩としてヤグディンから学んだことはありますか?」と訊かれ、たった一言「なんにも」と答えてたことがありましたね。
外国のインタビュアーはときどき、わざと相手を怒らせて、本音を引き出そうとする傾向があるようです。
まだ英語もよく話せず、そのため皆から離れてポツンと1人ですわっていたというあなたに、ずいぶんなことを訊くなあ、と思ったものです。よく判らない英語ながら、質問の意味は判った、しかしうまく答えられそうもない。
「うるさい、あっちへいけ!」・・あなたは本当はそう言いたかったのではありませんか。お前の欲しがってる答はこれだろ。そんなにライバル対決をあおりたければ、ご勝手に。お望みの答は投げてやったんだから、さあ、とっとと失せろ。あの一言には、そんな気持が隠されているように、私には思えました。

私は自他ともに認める、かなり重度のヤグディン・ファンですが(よもや否定する人はおるまい・・笑)、ジェーニャ殿、フィギュアスケーターとして、あなたのことをも心より敬愛し、ときに圧倒されてもおります。
まだ15歳のころ、着地でコケてもコケてもなお4回転を跳びに行き、「なんという攻撃的な・・!」とアナウンサーを絶句させた、あなた。いじらしい、けなげ、ひたむき、なんて形容をふっとばすような凄みが、当時のあなたにはもう、そなわってましたっけ。なんていうか、獲物をねらうケモノの仔(こ)の、爪も牙も生えそろってないくせして、すでにして優雅な非情さが背中にあったような。

個人的には、彼のならこのEXがいちばん好き。かと思えば、花飾りの帽子、真赤なルバシカ服に黒の短いジレをはおり、音楽に合わせて小さく両手を振りながらこきざみに腰を振ってた、あなた。あのころは可愛い腰振りをやってたんだなあ・・。
あのころは髪も短く、細い首すじがすっきり見え、じつに愛くるしかった(あのくらいの長さの髪が、あなたにはいちばん似合うと思います。ここ数年は、すこし長すぎるのでは)。愛らしさのなかにも、民族音楽特有の、ものすごいテンポ・アップに一歩も引けをとらない動きの速さには、目をうばわれたものです。

とりわけ、後年のスケールの大きさをほうふつとさせるハチャトゥリアン「つるぎの舞」。この曲のテンポに乗れるだけでも相当なものですが。まだまだ発展途上で、最近に比べれば振付のいろどりも少なかったけど、なんだか、とてつもなく巨大な氷山の一角をチラッと見てしまった気にさせるプログラムでしたっけ。

でも・・どれかいちばん好き? と誰かに訊かれたら、私はちゅうちょなく「ラベルのボレロ!」と答えます。
それも、01代々木GPF(=グランプリ・ファイナル)のSP、「ボレロ」。あのとき以外の「ボレロ」は、あれほどの緊張感がないぶん、動きのするどさにやや欠ける気がします。それほど、あの「ボレロ」は完璧でした。
(※01年はたしか、翌02年のソルトレイク五輪開催とのかねあいで、この年のうちに2回、GPFがあったのでしたね。ややこしいので以下「代々木GPF」と書かせていただきます)
あのきりりとした動き。あざやかなつむじ風のような回転。中盤で見せるきれいなドーナツ・スピンも、流れに乗ってて、じつに心地いい。すみずみまで計算され尽くされた、一挙手一投足がびしっびしっと決まる振り。長い手脚をもてあますような独特の動きが、あれほど似合う演技は、他のだれにも真似できない。まるでつま先や指先から、放電してるようでさえありました。
いつもはたいてい、黒地に金や銀の、金属的なヒカリモノの衣装なのに、渋い赤系に金ライン、というのがまた細い手脚と金髪に映えて、いちだんと魅力的でした。
あれはほんとうに息を呑む演技、奇跡の瞬間でした。

(しかもそれに対抗するヤグディンのSP「革命」がまた“すばらしい”を通りこして“すさまじい”と言いたくなる、鳥肌のたつ名演技でしたね。得意の3アクセルはめずらしく危なげだったけど、私はかれの演技で、あれほどの密度・超高速の腕の演技を見たことありません)

そして・・私のなかでは、代々木GPFの「ボレロ」を超える驚きを、あなたの演技からいまだに得ることができずにいます。これからのあなたに、それを期待したいんです。期待して、いいんですよね?
というのは、あの「ボレロ」をはじめて見たとき、あまりの見事さに「この子は将来、これを超えられるだろうか・・?」と、ふと思ってしまったからです。でももしかすると、あれを超えられないのは、振付師のほうかも知れない、といまでは思ってますけれど。

いつだったかヤグディンが「ぼくとプルシェンコ、2人とも出場する大会は、勝負は過酷だけど、演技の出来はおたがい最高なんだ」と言ってたことがありました。まさしくあれは、それを実証するような、歴史的名場面でした。見てるこちらまで消耗するほどの・・。
それと、演技とはちょくせつ関係はないんですが、スーパーファイナルの第2FP(※当時はいわば決勝戦で、FPが2つあった。現在は廃止)「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」を滑り終えた直後の、にこりともしない真顔、恐いほど力の入ったガッツポーズ。
にこにこ笑顔で投げキスをふわっと吹き飛ばすしぐさのあなたのほうが人気はあるんでしょうが、むしろ、私はあの顔のほうが、好きです。いまだにあなたはあの瞬間がいちばん魅力的だったと、思っています。

ソルトレイクのSP「M・ジャクソン・メドレー」でさえ、あのときの「ボレロ」ほどの魅力はなかったように、私には思えました。いえ、あの思いきって刺激的な腰ふり、私は好きですよ。EX「セクシー・ボム」のマッチョ着ぐるみ金パンツで腰を前後にズンズン、まで行ってしまうと、正直、ついてけないんですが・・(笑)。
「M・ジャクソン・メドレー」は、曲のつなぎめがなんだか不自然で、踊りにくそうに感じました。それに、M・ジャクソンの曲ってやはり、あの独特のボーカルあってこその魅力なんだな、と気づいてしまったのもやや気になりました。曲選びに問題あったように思います。
不評だった01GPF(代々木じゃないほう)の第2FP「エクリプス/ロクサーヌのタンゴ」は、さらに踊りにくそうでした。これも曲のつなぎかたが不自然なうえ、よく言われるように盛りだくさん過ぎ、ダイジェスト版を見てるようで・・。
いえ、あの見ててヒヤヒヤするほど悩ましい腰のうねくりっぷりも、私は好きですよ(笑)。ただそれがいかにも唐突で、ほかの動きとつながってないようで、もったいない。むしろ、あの前後の振りをもっとじっくり見たかったのになあ、って欲求不満にさせられてしまうんですね、あのプログラムは。

そして・・その不評のFPから、急きょ部分的に振付しなおしたという、ソルトレイクでのFP「カルメン」。
すでにSPの結果でメダルの色は決まりかけてたけど、それでもあなたは、カルメンのドン・ホセを演じきった。ヤグディンの「仮面」や「グラディエイター」と比較されるのを承知のうえで、愛するカルメンを刺殺するしぐさを演じてみせた。刺した動作のあとおそるおそる手を引き、おのれの血まみれの手のひらを見て一瞬おののくしぐさ、私はあれが大好きでした。その後この演技から、なぜかこの振りがなくなってしまったのが、残念です。

EXアンコールではジャンプ着地でコケて、あわてて跳びなおす、という恐ろしいパフォーマンスを演ってましたね。あれもまた、あなた以外の誰にも演じられないものでした。あれはアドリブだというウワサも聞きましたが、私にはそうは見えなかったです。助走のときのあなたの動きと、眼は、はじめからコケにいこうとしてるようでした。あの、痛々しくも徹底した道化ぶりに、私はかえってあなたの強烈なプライドを感じ、ゾッとしましたっけ。

ジェーニャ殿、私はどちらかというと、禁欲的に、必要最小限の動きをしてるときのあなたの演技のほうが好きです。端正な動きのほうが、あなた独特の動きのするどさが映えますから。笑顔をふりまくあなたより、真顔で闘志をむきだしにしてるあなたの顔のほうが、好きなように。
でもたぶん、一般にはキュートに腰ふりふり、笑顔のプル子ちゃんをお好みのファンのほうが多いんでしょうね。いえ、それを否定するわけじゃありません。なんとか、するどさとキュートさのどちらも映えるプログラム、それを実現できる企画を期待してるのです。むずかしいことだと思いますが・・あなたの実力なら、きっとやりとげるでしょう。

ヤグディンは典型的なアドリブの効くタイプですが、あなたはそうじゃない、と私はみています。計算され尽くした演技を、自信をもって完璧にこなしてこそ、光る。勝ちたいって気迫は判るんですが、あなたの場合、感情をおさえて冷徹なダンサーに徹してるときのほうが、いいみたい。その時々の心情をぶつけてこそ光るヤグディンとの、これは持ち味の差でしょう。
代々木GPFでの、アドリブ的動きをまじえたFP「ONCE UPON A TIME…」は、そのせいか、私の眼には“むだな動きが多い”と見えました。むしろ01GPF(代々木じゃないほう)の第1FP、おさえめの動きのおなじ演技のほうが、私には好ましかったです。
とくにジャッジ席前での、いかにもきまじめに、タバコをくゆらす振り・・思わず笑ってしまいました。私はタバコを吸うのでわかりますが、タバコなんて、あんなにリキ入れたしぐさで吸うものじゃありませんよ。ましてや“コットン・クラブ”・・あの時代のアメリカの、黒人たちが歌い踊る、最高にいかがわしい酒場。遊び人の女性がタバコをフォルダーにはさんで、けだるく燻(くゆ)らす、という振りだったはずでは? もしやあなたは、あまりタバコ吸ったことないんじゃありません? 私にはそう思えました。でも、そんなしぐさを一生けんめい、大まじめに演じていたあなたは、とても可愛らしく見えました。
(ヤグディンもたぶん、競技者としてタバコはそれほど吸わなかったんじゃないかと思うんですが、今季の新SP「F1」で、くわえ煙草をポイと投げすてるしぐさは、いかにもサマになってました。やはり役者だなあ・・と思いました)

そして・・体調をととのえ、気持を切り替えての今シーズン。最大のライバル、ヤグディンは脚の故障のため、早々に一騎討ちの舞台からいなくなっていました。
名誉挽回、去年の雪辱、うっぷんばらし、ひとり別次元、思うぞんぶん。気がすみましたか。
しかしながらジェーニャ殿、今シーズンのものほど、胸にうったえてくるもののないあなたのプログラムを、私はこれまで見たおぼえがありません。SP、アルビノーニのアダージョの終始もっちゃりしたテンポは、だいじな動きのするどさを殺してたし、FPは・・あれ見ておどろくのは、あなたのビールマン・スピンや、4−3−3コンボのジャンプを、あまり見たことのない人だけではないでしょうか。
どちらも見終って印象に残るところが、まったくなかったです。着ぐるみEXはほほえましかったけど、なにやら“お子ちゃま向けセクシー・ボム改訂版”ぽく見えなくもなかったし・・。

五輪の翌シーズン、緊張感の持続はむずかしい。毎度々々、傑作プログラムというわけにはいかない。それは判るんですが・・ほかならぬあなたほどの突出した存在には、見る側も期待が大きいんですよ。
ジェーニャ殿。あなたには、つねに男子フィギュア界を牽引する、挑戦的な存在でいてほしい。ヤグディンがいないシーズンなら、なおさらです。五十嵐文男さんが本田くんに言ってた、「狙っても、逃げても、守ってもいけない」ってことばを、あなたにも贈りたいと思います。

ワシントンD.C.世界選の芸術点オール5.9は、妥当と思います。
FPでの4−3−3コンボ、さいごの3ループが回転不足で成功しなかったんだし。世界選より出来がよかったとはいえ、サンクトGPFでの6.0が5つも並んだことのほうが、疑問です。2位以下との差がありすぎ、審判がヤケ起こしたんだとのウワサも、うなずけます。
しかしそんなことで6.0をかんたんに出してほしくない。あなたの完璧は、とてもとても、あんなものじゃありませんとも。今回6.0を出した人たちは、あなたが本当に完璧な演技をしてみせたとき、いったい何点あたえるつもりなんだろう。あれをあなたの完璧というなら、あなたほどの競技者に対しての重大な侮辱だとさえ、思いました。
そして、あなたの完璧は、やはりヤグディンとのせめぎ合いからでないと飛び散らない火花なのかな・・とも。あなたのためにも、ヤグディンには早くリンクに戻ってきてもらわねばなりませんね、ぜひとも。

おしまいに。
鳥が空を飛ぶとき、それもとてもすばやく飛び立つとき、動きにつれて影が一瞬、きらっと光ってみえることがあります。暗いはずの影が、光ってみえる。速さゆえに、影なのに、光でもある。・・あなたのするどい動きはなんだかあれに似てる、と思うことがあります。
ヤグディンの動きは、魚の動きです。きれいな水に棲む、元気なおさかな。身をひるがえすたび、水とともに光る。さざ波の下で、影はかれとともに水中をゆるやかに、あるいはすばやく走るでしょう。ときどきキラキラ跳ねる。あなたのような風を切り裂くするどさこそありませんが、流れや、水しぶきや、いろんな水の表情とともに、ゆうゆうと、なめらかに、あるいは矢のように。可憐に、自由に、ときには威厳をもって。

あなたが学ぶとしたら、あの多様さ、次の動きの読めなさ、そして深さです。
盗んでください、もっと。
そして・・もっと盗まれ、追いつかれてほしくもあります。その相手は、ヤグディンにかぎらず、ね。だってあなたは、あまりにも強すぎますから。

早くも次のシーズンが、楽しみです。私は幾多の名演技の思い出とともに、長いオフシーズンをのりきろうとしています。そしていま、あなたとヤグディンと、おなじ時代に生まれ合わせたよろこびを、かみしめているところです。
充実のオフシーズンをお過ごしください。いっそうの活躍を期待しております。くれぐれもお体御専一に。

敬具
卯月4月、葉桜の候の日本にて
しんまいフィギュア・スケートファン Eより

追伸:
ところでジェーニャ殿、まえから思ってたのですが、ステップより、スピンを強化したほうがよくはありませんか?
私がこんなこと言うのは、体の柔らかい人のスピンは、とにかく見ごたえあるからです。
ストレートライン・ステップをいくら高速にしたところで“ヤグディンの二番煎じ”的に見えてしまうのは、避けられません。それよりビールマン・スピンをこなす、生来の武器、体の柔らかさを、なぜもっともっとアピールしないのですか。
もしもこれがうまくいったら、ヤグディンはあなたほど体が柔らかくないのだから、盗もうったって盗めないはずなのに。ヤグディン・ファンのくせにこんなこと言ったら、怒られるかな・・(苦笑)。
(了)


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