キス−キス TOPへ美緒さん、うわさのジャパン・オープン、コンペも、ガラも見に行った、貴重な生観戦レポ。それは何より、ヤグディンの、ソルトレイクから4年めの『仮面の男』/『ウインター』目撃情報なのだった・・。
4年めの『仮面』(06年ジャパンオープン観戦記・コンペ篇)
〜さいたま発・美緒さん報告〜


ジャパン・オープンが終わり、ガラ・エキシビジョンがはじまるまで、小一時間。
いったん会場の外に出た私は、無意識のうちに、実家の母に電話をかけた。

「どうだった? ヤグディンは」母は訊いた。
「技術だけを4年前と比べたら、そりゃあ、ぜんぜんダメだったよ」
「ええっ? そうなの? がっかりね……」
「ううん・・・・・・思ったよりずっとよかったってことに、びっくりしてるの。
トリプル・フリップの3−3を跳んだのよ!」

1ヶ月たった今も、コンペを見終った後の、この会話を思い出す。
私はどうしても、あの満足感と、爽快感を、だれかに伝えたかったのかもしれない。

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コンペの「仮面」は、どうヒイキ目に見ても、よくできた演技ではなかった。
スピードは、現役選手とは別次元の遅さだった。
エッジの深いすべりはさすがに美しく、スケーティングのうまさは際立っていたけれど。
彼の持ち味である、身体の内側からにじみ出るような音楽表現や、パフォーマンスも、後半は色あせて見えた。(疲れからか?)

4年前のソルトレイク・シーズンと比べたら、ずいぶん筋肉がついて幅の出た身体に、「仮面の男」衣装は、ちょっとミスマッチだったかもしれない。
成熟した魅力ある女性が、成人式に着た振袖をひっぱり出して着てみたかのような、気恥ずかしさすら感じた。

4年前の面影を残しつつ、でも、全くちがう「仮面の男」。
見る人によっては、痛々しく感じたであろう「仮面の男」。
……それでも、私をがっかりはさせなかった「仮面の男」だった。

今回、「仮面」を滑るらしい―という情報をネット上でキャッチしたのは、本番当日の2日前。
「グラディエーター」だと聞いてたのに、なぜ? という疑問がわきあがる。
「グラの衣装はもう入らないんじゃないの?」と、揶揄するような書きこみも見つけた。
(でも、当日見てみないと、わからないんだから…)
そう自分にいい聞かせつつ、会場へ向かった。

(点数が出ないことは、覚悟の上―
だって、かれは6種類のジャンプが、いまは跳べないのだから―
世界一美しかったトリプルアクセルは、もう見られないのだから―
では、いったい、どうやって戦うのか?―
いいや、ステップなら、加点が期待できるかもしれない―)
さいたまスーパーアリーナに向かう電車の中、そんな自問自答をくりかえしていた。

冷静に考えたら馬鹿みたいだ。
私はアレクセイ・ヤグディンの人生とは全く無関係な人間だし、彼とは知り合いでもなんでもない。
それでも、これほどまでに葛藤する。
彼のスケートが、私に与えた影響の大きさに、今さらながら気づかされた。

そして……その時は近づいてきた。

リンク上で、6分間のウォームアップ・タイムが始まった。
夢にまで見た、ヤグディンが滑るリンクでの、6分間。
私の眼は、当然、彼だけを追う。

他の選手が、次々とジャンプを跳び、その感触をたしかめる中、
ヤグディンは、脚のつけねをかばうように、ゆっくりゆっくり、リンクを周回しはじめた。
アマ引退の原因となった、いまも痛みが引かないはずの、その脚のつけねを。

滑りながらヤグディンは、リンク正面の観客に向かって、両手を上げた。
滑り終えたあと、観客に拍手を求める、いつものポーズ。
そう……両手を下から上にすーっとあげる、あの動作。

ヤグディンは、それを東西南北、すべての観客席に向かって、やってのけたのだ。
(みんな、今日は盛り上げてくれよ! 僕も一生懸命やるけど、他の選手もみんなベストを尽くすからね!)
彼の、そんな声なき声が聴こえてきそうな、パフォーマンスだった。

もちろん、観客は大喜び。そして、喝采していた。
でも……その時、私は悟った。
彼は、このコンペで高得点をとる気はさらさらないんだ、と。

この時間に、ジャンプの練習をしないということは、脚の調子がそうとう悪いのだろうか?
それとも、本番でしっかり跳ぶために、今はセーブしてるのか?
いずれにしても、彼は高い技術ではない要素で勝負しようと、せいいっぱい観客サービスすることに徹しようと決めたんだ、と……。

そんな中。
「仮面の男」の、あのドラマチックなイントロが、しずかに始まった。
何度も何度も、私の部屋のビデオの中、くりかえし演じられた「仮面の男」。
最初の立ちポーズをとった時は、まるで時間が逆戻りしたかのようだった―

しかし、滑り始めた瞬間、4年の間に彼の身におきたことすべてが、現実となってのしかかってきた……
……練習時間に感じた予感は、ほぼ的中した。

ソルトレイクで演じられた「仮面」と、いま、目の前に繰り広げられている「仮面」は、似て非なるもの。
そんなことは、彼自身が一番よくわかっているだろう。
その表情を見れば、誰にだって、わかるはずだ。

だけど……跳んでる!
トリプル・フリップだ! しかもコンビネーションで! ここ数年、跳んでなかったはずなのに!
次はサルコウ! エッジジャンプは、脚に負担がかかるから無理だと、どこかの記事で読んだのに!
スピン・コンビネーションは、4年前より複雑になってる。チェンジ・エッジしてるもの。
そうか、音楽のつなぎを変えたのは、これのためだったのか……。

ステップは、変わってない。あの懐かしい「仮面」のステップだ!
ちょっとスピードは足りないけど、氷を削る、余計な音がしていない。
いいぞ! 頑張れー!!

あっという間の、4分半の演技が終った。
あの日の映像は今でも、暗い画面の中にスポットが当たったようにしか、思い出せない。
ただひたすら押し黙り、息を殺して、見まもった4分半。

すべてが終った時、私は立ち上がり、思いっきり拍手をしていた。
やはり静かに見ていた、近くの席の女性も、私と同じように立ち上がり、何度も「うん、うん」とうなずきながら、拍手をしていた。
彼女は、どんな思いだったのだろうか?

滑り終えたヤグディンは、疲れきっていたようだったけど、アイス・ショーでは見せたことのない笑顔で、顔をいっぱいにしてリンクの中央に立っていた。
彼はどんな思いで、あの4分半を滑りきったのだろう?

そして、どんな思いで、トリプル・サルコウを跳びなおしたんだろう?
アクセルが入ってないんだから、最後のサルコウは、カウントされないはずなのに……。

(……これが、今の僕の、パーソナル・ベストだからだよ)
彼ならきっと、そう答えると思う。
カウントされようが、されまいが、今の自分にできる、最大限のことをする。
むかしから、彼はそういう選手だったんだもの……。


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