《ヤグディンの演技》
いわずとしれた、ソルトレイク五輪でヤグディンが芸術点満点を4つ獲得しての金メダルという、伝説的名演技。
演技はノーミス、終盤近くのフリップの着地がやや不安定だったくらいか。
そのうえこの大舞台でヤグディンは、それまで大きい競技会では成功したことのなかった「4トゥループ−3トゥループ−2ループ」の、3連続ジャンプを成功させた。
演技後の、氷に歓喜のキス、大泣きも印象的。女子はともかく、男子でああまでキス&クライで大泣きした選手って、あまりいないんでは?(後記:04−05世界Jr、織田信成くんという、たのもしい後継者があらわれた・・笑)
いろんな意味で、歴史的瞬間だった。
まずは、手の演技と、表情だけでしずかに表現される、鉄の仮面と、監獄の壁。
荘厳から、希望へ。曲調の変化とともに、頭上からおりてくるロープ、それがつぎの瞬間、首に巻きつく。おとずれる救いと、うらはらの危機の予感。
束縛、解放、そして闘い。そんなテーマが気品をもって、判りやすく表現される。
後半は剣戟の、はなやかな振付。キャンデロロ・ファンなら、長野五輪シーズンの「ダルタニアン」の絶妙な剣戟ステップを思い出すだろう。
シーズンはじめの『仮面』演技には、剣を抜き、また鞘におさめる、という振りがあった。それがだんだん、両手で壁を押しのける、というような振りに整理されていったものと思われる。
※くわしいことは、別ページ「王を見た」にいっぱい書いたので、そちらを参照。
《原 作》
なにしろ600ページもあるうえ、フランス風の、お世辞をたっぷりまぶした、まわりくどい言いまわしが多く、読むだけでもひと苦労
--;)
小さいころ、子ども用の本で『鉄仮面』を読んだことあった。
ストーリーは忘れはててたが、おぼえてるのは、ひどくあと味悪かったこと。
それと「双児は、あとから生まれたほうが兄」・・つまり「先にお腹のなかに出来たから、あとから出てくる」っていう考え方を西洋ではしたらしいこと、それだけだった。
今回、おとな用の本で読みかえして、思い出した。
暴君である王は、けっきょく反省しないまま元の王座へ戻り、なんの罪もないフィリップは鉄仮面の囚人に戻される。「おいおい、このまま終るんじゃないだろな?」・・子ども用は、たしかここで終ってた・・-_-;)
これじゃ、「あと味悪い」と思うの無理ないわさ。子ども用なら、ハッピーエンドに書きかえてくれてもよかったのに、あの本作った人・・☆
が、原作はここで終らず、まだつづく。以下、原作での、それぞれの結末。
王とフィリップ、双児の兄弟を入れ替え、いわばないしょの“革命”をくわだてた元・銃士ポルトスと、アラミスのたくらみは失敗に終わる。2人は王の軍隊に追われ、とある島へ逃げこむ。ポルトスはアラミスをかばって、洞窟のなか、落ちてきた岩に埋もれて圧死。
もう1人の銃士・アトスの息子は、許婚を王にうばわれ、アフリカ遠征軍に従軍し、戦死。息子の死を知らせる手紙を読みつつ、病気だったアトスは、ショックのあまりそのまま衰弱死。
ダルタニアンはさいごまで王に忠実だったが、戦場で「元帥に任命する」という手紙と、その栄誉ある持ち物である、王家の紋章入り元帥杖を握りしめたまま、戦死。
生き残ったのは“革命”をくわだてた張本人・アラミスだけ・・。
おとな用の本でもじゅうぶん、あと味わりィわな。白状すると私には、この原作のどこがいいのかよく判らん。4ヶ月がかりで意地で読みとおしたけど。さきに『三銃士』読んで、すでに三銃士や、ダルタニアンに思い入れがないと、よさが判らんのかもしれん。
この原作が書かれたのは1848〜50年、日本でいうとそろそろ幕末だから、このころ書かれた物語を、ピンと来ないの、仕方ないかも。当時としてみれば、「実在するルイ14世をモデルに、暴君とはいえ王が、平民として育った弟と入れ替わる話なんて、めっそうもない!」ってことだったのかもしれないし。
《映 画》
というわけで、映画『仮面の男』はだいぶ原作、変えてます。現代人が見ても納得いくように、だろうな。
暴君である王と、双児の弟フィリップは、ごぞんじ“レオ様”こと、デュカプリオの2役。
(正直、フィリップ役のときはいきいきしてたが、暴君の王を演じるには、レオ様はやや貫禄不足&清潔すぎた・・☆)
アトスの息子の許婚が王にうばわれ、息子が戦死するのは原作と同じ。
許婚はかれの死が王の陰謀であったと知ったとき、首を吊って自殺。
でも映画のアトスは、息子の死のショックで衰弱死したりはせず、元気に王への復讐にくわわる。
ポルトスは女性を愛せなくなった体のおとろえを嘆き、自殺までくわだてるが、なんだかんだいってこれまた元気いっぱい、陰謀にくわわる。
アラミスは修道院長と司教を兼ね、スペインとも通じてる・・らしい。(ジェズイット教団てのがよくわからん☆)
ジェレミー・アイアンズという役者さんは、このアラミス役にじつにぴったり、とくに気品ある手のしぐさが、まぶしい。はなばなしいあの時代の衣装に負けない風格と貫禄あったの、この人だけだったな・・。
1人だけまだ現役隊士のダルタニアンは、王の近衛師団の隊長をしてる。かれは立場上、王と、三銃士たちとの友情の板ばさみになり、さいごまで苦悩する。
原作とおなじく、アラミスが王の双児の弟フィリップを探し出し、王との入れ替えをたくらむ首謀者となる。
いったん陰謀は成功、王は監獄に送られ、弟フィリップが入れ替って王座につく。
フィリップが、はじめて生みの母である王妃と出逢い、万感こめて、さりげなく手に接吻するとこ、よかったですな。
しかし陰謀は失敗、原作どおりフィリップは監獄に戻され、ふたたび鉄仮面の囚人へと戻される。・・
ここからの展開は、原作を離れる。
三銃士とダルタニアンは、現役時代の古い軍服を身につけてフィリップ救出に出かけ、ダルタニアンが育てた近衛兵たちとまっこう対決する。(この場面で流れるのが、ヤグディンの演技で、剣戟の振りに使われてた音楽)
ダルタニアンの部下たちは、伝説の勇者・三銃士と、ダルタニアン隊長を、だれひとりマトモに撃つことができない・・ってのは、ちょっと甘いですな。これじゃ、なんだダルタニアンってロクな部下を育ててなかったんじゃないか、ってことになってしまう。何人かは、涙にかすむ眼で、敬愛する隊長と、先輩たちを、あえて撃たなくちゃ。男が自分の感情を殺し、職務に徹する。そういう展開あってこそ、私のような“中身オヤヂ”も(笑)心から涙するってもの。せめて、多少はケガぐらい、させろよな〜☆
まあいい。ここで王が、弟フィリップを殺そうと刃物を振りかざす。フィリップを体でかばい、ダルタニアンが代りに刺されてしまう。怒りのあまり兄をしめ殺そうとするフィリップに、
「よせ! おまえの兄だぞ」とダルタニアン。
(じつは映画の前半に、この双児の母である王妃と、ダルタニアンは身分ちがいの恋仲だった、という伏線がある。つまりダルタニアンは、この2人の父、って可能性もあるっていう“かくし味”があって、このセリフが効いてくる)
フィリップの腕の中、ダルタニアンは満足げに死んでゆく。三銃士の誓いのことば、
「1人は全員のため、全員は1人のため」
と、つぶやきながら・・。
※ちなみにこのコトバ、三銃士の標語みたく思われてるが、映画『戦艦ポチョムキン』に出てくる革命のスローガンだそうだ。
ダルタニアンは犠牲となったが、三銃士は全員ぶじ生き残り、暴君である兄は鉄仮面かぶせられ、ふたたび監獄へ。弟フィリップが王となり、それからはよい政治をし、ルイ14世の名をたかめる。
ラストは「鉄仮面の囚人は、やがて釈放されて田舎へ引っこみ、ひっそり暮したという」というナレーション。
いまは王となったはずの弟フィリップが、映画前半で「いつか田園で、しずかに暮したい」とつぶやくシーンがあったので、じつはみたび王はもとの兄と入れ替わり、弟フィリップが、じつは“田舎へ引っこんだ元・囚人”なんじゃないのかな・・? と想像させて、映画は終る。・・うむ。これなら、ナットクですな(^_^)゛
《おまけ・そぼくな疑問》
ただし映画版、ひとつ疑問あり。
フィリップの入れられてたバスチーユ牢獄は、まるで『ベン・ハー』に出てくる、病気のマンエンする、不潔で劣悪な環境みたいに描かれてたが。
たしかバスチーユ牢獄って、貴族しか入れなくて、囚人たちは中でゼイタクざんまい、それが平民を怒らせ、フランス革命が起きた一因じゃなかったっけ? だから革命のとき、まっさきに攻撃されたはず。『ベルサイユのばら』に、そんなシーンがあった記憶があるが? ・・と思って、調べてみたらば。
たしかにバスチーユは、貴族・ブルジョア・政府高官しか入れない、特別な場所。自分好みの家具を持ちこんだり、おかかえ美容師を呼んだりも自由。喰いだおれ国フランスだけに、毎日の食事も豪華けんらん(※もちろん税金でよ)。一言でいうと、公費での別荘。ここで戯曲を書き上げた作家もいたという。
原作での、囚人フィリップは、監獄の庭をまいにち散歩し、薔薇のつぼみを摘んできて日本製の花瓶にさして飾ったり、冬にはストーブ焚いてもらったり、特別にロウソクを消燈時間過ぎまで灯してても許されたり、それなりにいい生活してるらしく書いてある。
つまり、王族の血を引くフィリップは、それなり大事にされてた、特権階級ってことなんですな。なにしろ「バスチーユに入れてもらえた」んだから。
そういう設定でないと、話のつじつまも合わないでしょう。映画では看守が「あの囚人、まだ生きてやがる」みたいに言ってたが、獄中でのたれ死んでもいいなら、鉄仮面かぶせて監獄におしこめるなんて面倒なことせず、とっとと暗殺してしまえばいいはずだもの。
バスチーユをそんなふうに考えなおすと、アラミスの陰謀も、
「現王はちょっと世間知らずでワガママなので、こっそり弟ぎみに入れ替わってもらい、しばらく別荘に入って、頭を冷やしていただこう」・・ていどのものだった気がしてくる。こういう作りでも、よかったんじゃないの?
まあ、こうなるといろいろ説明入れなきゃならなくなり、娯楽映画としてはあれでいいのかもしれんけど。
後記1:
バスチーユではないけど、ルソーやモンテスキューとともに「百科全書」を作ったディドロは、パリ郊外のお城の天守閣にとじこめられてたが、夜な夜なぬけ出してパリ街中の愛人のもとへ通うことを許されてたそうだ。
さすが、おフランス・・f(^ー^;
後記2:
ルイ14世は噴水が大好きで、みずから設計もしたそうだ。真上に吹き上げる噴水は、この人がベルサイユ宮の庭に作らせたのが、世界初とか。
映画でデュカプリオの王様が、噴水を手もとで操作して、めあての女性の前に水を噴き出させて、ゆくてをさえぎるシーンがあった。あれは、こういう意味があったのか・・!
(以上)
主な参考文献……
A・デュマ/石川登志夫・訳『仮面の男』(角川文庫)